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ヘンリエッタ・マリー (奴隷船) : ミニ英和和英辞書
ヘンリエッタ・マリー (奴隷船)[ふね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [やつ, やっこ]
 【名詞】 1. (vulg) fellow 2. guy 3. chap 
奴隷 : [どれい]
 【名詞】 1. slave 2. servant 
: [ふね]
 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship 

ヘンリエッタ・マリー (奴隷船) : ウィキペディア日本語版
ヘンリエッタ・マリー (奴隷船)[ふね]

ヘンリエッタ・マリー(Henrietta Marie)は、アフリカ人捕虜西インド諸島奴隷として販売するために運搬していた奴隷船イングランドへの帰路、フロリダ州の南端で難破した。後に沈没船として発見され、現在までに確認されているわずかな沈没奴隷船の一つである。
==歴史==
17世紀頃フランスで建艦され、17世紀後半に大同盟戦争戦利品としてイギリスの所有物となったと思われる。大西洋奴隷貿易に使用され、少なくとも2回は西インド諸島にアフリカ人奴隷を運んだ。1697年から1698年の最初の航海では、アフリカから200人以上を運び、彼らはバルバドスで奴隷として売られた〔Malcom 2001
Malcom (Trade goods)〕。
1699年、三角貿易の最初の航程として交易品を積載してイングランドを出航した。交易品は、鉄と銅の延べ棒ピューター製の食器、ガラスビーズ、布、ブランデーなどであった。航海の利益の10%と引き換えに、当時アフリカからイングランド間の貿易を独占していた王立アフリカ会社の認可を得た航海であった。ギニア・コースト(Guinea Coast)のカラバリ王国において、アフリカ人捕虜を取引したことが知られている。船はその後、アフリカから西インド諸島に向かう第二の航程に入り、1700年5月、ジャマイカポート・ロイヤルに191人のアフリカ人を陸揚げし売却した。その後、三角貿易の第3航程としてイングランドに持ち帰るために、砂糖木綿、、生姜を積み込んだ。ポートロイヤル出航後、キューバイスパニョーラ島間に出没する海賊を避けて、キューバ西端のユカタン海峡を通過し、メキシコ湾流に乗った。これは、カリブ海からヨーロッパに戻る定番の航路であった。キーウェストから約35マイル(56.3km)西のの近くのNew Ground Reefで難破した。生存者はなく、船のこともほぼ3世紀にもわたって忘れ去られていた〔Cottman 2001:46-48
Konstam:140-41
Malcolm 2001〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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